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記念すべき100記事目ということで、ダラダラとこれまでの税理士人生を振り返ってみる。~前半~

今回が記念すべき100記事目となりますので(ボツにした記事もありますので実際にはもっと書いておりますが)、赤裸々にこれまでの税理士人生を振り返ってみました。また、いつの間にか1日のPV数が100を超えていました✨1日100PVを達成できているブロガーは全体の12%程度という記事を見ましたので素直にうれしいです。当ブログを読んでいただいた方に感謝申し上げます。少しでもお役に立てる記事をこれからもUpできればと思いますので今後ともどうぞよろしくお願いします!

税理士を目指したキッカケとは?

高校を卒業後、何となく地元の大学に進学することになりました。勉強自体は好きではなく、実家が農家を営んでいましたので、家業を継ぐのかなと漠然と思っていましたが、私には致命的な欠陥がありました。虫が大の苦手だったのです。家にクモやゴキブリが出たらもう大変です。姉に駆除してもらっていました…笑。また、何故か蜂に付きまとわれやすいような気がします(おそらく小さい頃に蜂をイジメていたので、蜂の怨念のようなものが私にとりついている可能性があります)。

そんなこともあり、家業を継ぐのは厳しいと思い、特にやりたいこともなかったので、やりたいことを見つけるための時間が欲しくて大学に進学することになりました。入学した大学の偏差値は高くなく、少し勉強すれば誰でも入れるような大学です。当時の私には偏差値という概念はなく、ただ時間が欲しかったので簡単に入れる大学を選んでおりました。もっと勉強して良い大学に入っておけば良かったと後悔したのは就職してからとなります。東京の会計事務所に初めて就職した際に、周りの方達がいわゆる良い大学の出身者ばかりだったからです。(教訓①)会計事務所のお客さんの中には学歴を重視する人もいます。露骨にどこの大学の出身かを聞いてくる方もいました。学歴がすべてではありませんが、有名な大学をでていればそれだけで信頼を得ることもありますので、なるべく良い大学を出ていたほうが良いです。当たり前ではありますが。ただ、実力主義のところもありますので、そんなに学歴コンプレックスに悩む必要はないのかなと個人的には思います。

大学生活の前半は挫折ばかり

大学入学後、新しい交友関係もできて、大学1年生の前半は楽しく過ごす一方で、私の中で危機感というのを常に感じておりました。私が進学したのは情報系の学部(元々は商学部に由来する学部)なのですが、授業がもの凄くつまらないのです。また、将来何の役に立つのかわからない授業が多々あったような気がします。決して頭のよくない私なのですが、危険察知能力は少しだけ備わっていたような気がします。大学1年も半年を経過する頃には、私の頭の中はアラートが常に鳴っておりました。このまま4年間過ごしても何も得られるものはないと。(教訓②)資格試験に専念するのであれば4年生大学ではなく専門学校に通うことももちろんありです。Big4では、専門学校卒の方もポテンシャル採用で採用されたりします。また、上述しましたが、この業界は完全実力主義ですので、4年生大学を出ていなくても出世する人は出世できます。

大学1年生の後期に入り方針を定めました。このまま大学の授業をぼんやりと受けていてもろくなことはないと思い、資格試験に取り組むようにしました。大学を中退することも考えたのですが、一応は大学卒の経歴は持っておいた方がいいと思い中退はしませんでした。

大学の授業で簿記を習ったとき、すこし面白いと思ったので簿記の資格の取得を目指すことにしました。また、当時親族が営んでいた英会話教室で事務のアルバイトをしていましたので、英検の勉強も並行して進めました。日商簿記3級は独学し(試験は受けず)、日商簿記2級はバイト先の近くにあった簿記学校に通い勉強しました。大学1年生の時に日商簿記2級と英検2級に無事合格することができました。

大学2年に入り、簿記の道に進むか、英語の道に進むか悩みましたが、英語は留学しなければ習得は難しいと思い、また海外に留学するほどの勇気が当時ありませんでしたので、簿記の道に進むことにしました。が、日商簿記1級があまりにも難しく、挫折してしまいました😢完全にやる気を失っていたのですが、簿記学校の先生から税理士試験にチャレンジしてみない?と言われ、そのままその先生の営業トークに飲みこまれる形で税理士試験にチャレンジすることとなりました。(教訓③)通常の4年制大学に通っている場合には、大学3年生から税理士試験の受験資格がもらえます。これは結構有難いです。中退しなくて良かった~✨

そんなこんなで税理士試験の勉強を始めたのですが、その時はそんなに熱意があるわけではなありませんでした。大学に通い、アルバイトもしながら税理士試験の勉強をするというのは中々きつく、1日3時間程度の勉強を週3日こなす程度でした。最初の受験は簿記論のみの受験でしたが、もちろん結果は惨敗でした(C判定)。1日3時間、週3日の勉強時間で受かるような試験ではないのです。

大学生活のラストチャンス

大学3年の夏が終わり、就職活動も始まりました。就職活動を始めたものの、就職活動もなかなか気が進みません。税理士試験に惨敗したので、それが尾を引いててなかなか前向きな気持ちになれなかったのです。税理士試験にもう1度チャレンジしないかとさらなる営業トークを受けていたのですが、日商簿記1級、簿記論と立て続けに挫折をしていましたので、やる気を完全に失っておりました。そんなモヤモヤしている日を過ごしていく中で、ふと自分は何も成し遂げていないことに気が付きました。やりたい事を見つけるために大学に進学したものの、中途半端にしか勉強していなかったのです。大学生活もあと1年半、ラストチャンスにかけることにしました。もし失敗したら素直に家業を継ごうと。

大学3年の秋から税理士試験の勉強を再開します。今度は簿記論と財務諸表論に挑戦です。アルバイトも辞めて税理士試験に専念です。最初の3か月は1日の勉強時間は6時間ほどを毎日、年を明けてから本試験の8月までは10時間~12時間ほどの勉強時間を毎日しておりました。友達からの遊びの誘いなどはすべて断り(友達がいなくなりそうなくらい断りました)、ずっと勉強に打ち込みます。簿記学校で新たな友達もでき、切磋琢磨しながら勉強に励みました。(教訓④)同じ目標を持つ人と友達になるのはとても大切です。税理士試験は長丁場の試験です。精神的にボロボロになることが多々ありますので、仲間を作って勉強すると精神的にだいぶ楽になります。1人では乗り越えられない壁も仲間となら乗り越えられることがあります。そんな受験生時代だったように思います。また、学生は勉強が本業です。緊急性が高くなければアルバイトは絶対しない方が良いです。目先のなけなしの小銭を稼ぐよりかは生涯年収を意識して勉強に専念したほうが、人生圧倒的に良いと思います。

そんな努力も実り大学4年生の時に簿記論と財務諸表論に合格することができました。本当に嬉しかったです。この合格で何よりも自分がやりたいこと(税理士を目指すこと)が明確になりました。大学でやりたいことを見つけるという目標も達成することもできたのです。

浪人生活の精神的な辛さは半端ない

大学4年生の秋から法人税の勉強をスタートし、12月に税理士試験の結果発表通知(簿記論と財務諸表論の合格通知)を受けて消費税の勉強も始めます。1日の平均勉強時間は約10時間、これを8月の本試験の日まで続けるのです(ほとんど休みなし)。大学の卒業式の日ももちろん勉強していたのですが、最後の日ということもあり卒業パーティーには参加することにしました。卒業パーティーに参加したのですが、何というか、他の皆とは心に距離ができているような気がしました。僕は4月から浪人生、他の皆は新社会人。身分も違うので当然と言えば当然なのですが、何よりも大学3年頃から友達付き合いをシャットアウトしていたので、共通の話題というのがほとんどなくなってしまっていました。(教訓⑤)何か1つのものを本気で目指す場合、失うものも必ずあるのだと痛感した日となりました。

地元の友人を含む周りの同級生がほとんど社会人になっている一方で、私だけ浪人しているというのは精神的にかなりつらいものがありました。私の友人は専門学校卒業の人も多いので、22歳の時点でほとんどの友人は社会人になっているわけです。決して自分自身は怠けているわけではないのに、22歳になっても浪人しているという事実が精神的にもの凄く辛かったのを覚えています。税理士試験に完全合格(資格取得)するまでは、私自身何者でもなく、ただの勉強している人という社会的評価がされるわけなのです。浪人して試験に落ちてしまったらどうしようという不安もあり、精神的に滅入ってしまっていたように思います。

そういう精神的な不安定さもあってか、試験は法人税と消費税両方とも不合格でした(法人税B判定、消費税A判定)。試験結果通知をみて、もの凄く絶望的な気持ちとなったのを覚えています。浪人して1日平均10時間の勉強時間をこなしても何も得られなかった。この1年は何だったのか、自然と涙が溢れますし、世界中の不幸をすべて自分が背負っているのではないかという気持ちになります。(教訓⑥)難易度の高い試験は努力しても報われない時は報われない。試験に落ちた時に気持ちをリカバリーするのがとても大事。その意味でもやはり同じ目標を持つ仲間と過ごすことが大事です。1人だと完全に心が折れる可能性があります。

精神的な安定を求めての大学院生活

浪人して受験した税理士試験は不合格という最悪の事態になってしまいました。年齢は23歳となっており、引くに引けない状況でもあります。精神的にも不安定となっていましたので目標を微修正することにしました。税理士になる方法は、いくつかあり、一番王道は税理士試験完全合格(5科目合格)ですが、大学院で税法に関する論文を書いて、その論文が審査に通れば一部科目の免除を受けることができます(いわゆる院免と言われているものです)。私はこの時点で2科目に合格しており、法人税と消費税は落ちたといえ、一通りの学習を終えていますので、大学院に通い論文を仕上げ、あと1科目に合格すれば晴れて税理士の資格を得ることができるのです。この手の資格試験はある程度の出口戦略が大事だと思い、25歳までに資格を得ることに目標を切り替え、親に頭を下げ、あと2年間だけ面倒を見て欲しいと頼みました。ここまで来たら失うものはありません。親の脛がなくなるくらい脛をかじってやろうと思っていました。(教訓⑦)親の援助を受けられるのであれば、とことんその支援を受けましょう。悪いことをしているわけではないので遠慮する必要はありません。親は自分が努力しているのを見てくれています。自分の子供の夢を叶えてあげたいと思っているはずです。

大学院に入学すると、精神的にかなり安定したように思います。あと1科目に合格すれば良く、また、学生という身分を再度得たことが何となく心を安定させることができました。大学院時代の勉強時間は1日平均12時間くらいでした。朝10時から夕方の5時くらいまでは税理士試験の勉強を行い、夕方6時から夜の10時頃まで大学院で授業を受けます。夜の11時ごろから日付が変わる1時ごろまでまた税理士試験の勉強といった具合です。

大学院1年生の時に再度法人税と消費税を受験し、法人税に合格することができました✨これで3科目達成となり、あとは論文を書き上げれば税理士の資格を得ることができますが、大学院の勉強だけだと時間に余裕がでてきます。アルバイトをすることも考えたのですが、ここまで来たらトコトン勉強をやってやろうと思い、2回不合格となった消費税と新たに所得税の勉強も始めました。(教訓⑧)学生はアルバイトを基本するべきではなく、勉強にまい進する必要があります。当時は1時間の勉強で将来の自分の時給が1円上がるのだという思いで勉強をしていました。

大学院2年生になってからもひたすら勉強をしました。ふと思えばこの5年間勉強のことばっかりを考えていました。それまで中途半端な人生だったので、何か一つでも成し遂げたいと思い必死になって勉強していた記憶があります。その勉強の甲斐もあって、学生生活最後の年に所得税と消費税に合格することができました(税理士試験完全合格)。どんな人間にだって輝かしい出来事(時代)はあるのだと何かの小説で読んだような気がしますが、この時期がいろんな意味で輝かしい時代だったのかもしれません。(教訓⑨)報われるときは報われる。

税理士試験を終えて

税理士試験を受けた最後の年、私は25歳となっていました。試験が終わった後、感覚的に合格したなと思っていました。夏休みで誰もいない8月の大学内にあるベンチに1人座り、この5年間で得たものと失ったものを考えたりしていました。そうこう考えると自然と涙があふれます。その5年間よく1人で泣いていたような気がします。

この道に進んで果たしてよかったのか、あるいは別の選択をした方が良かったのではないかと今でも思うことがあります。地元で公務員となって、そのうちに地元の女性と結婚して、のどかに過ごしていたかもしれません。

東京で就職したのは、地方より仕事がいっぱいあり、たくさんの経験を積むことができるということもありますが、税理士試験の後遺症によるものが一番でした。その5年間で僕は精神的にだいぶ滅入っておりましたので、人生を一からスタートするという意味で地元を離れたかったという思いが強かったような気がします。(教訓⑩)税理士試験に全力投球すると、精神的にだいぶ滅入る。その意味で、私は、現在税理士を目指す学生達には、3科目合格+大学院での科目免除をススメたい。税理士試験は無駄に暗記することがまだまだ多く、実務で役に立たない知識も多いと感じます。無駄な勉強に時間と費やすのではなく、手っ取り早く資格を取得し、実務で仕事を覚えたほうが生産的なような気がします。

少し長くなりましたので、税理士人生の後半はまた別の記事で暇なときに書きたいと思います。ダラダラとした文章となりましたが、最後まで読んでくれた方ありがとうございました!